6月23日、国民投票によってイギリスのEU離脱が決まった。
これは一体どういう意味を持つのだろう、と考えていたのだが、未だによく自分の中でまとまっていない。
しかし、とりあえず文章にしておく。
幾つかの記事を拾い読みした。
地べたから見た英EU離脱:昨日とは違うワーキングクラスの街の風景
日本の未来を映す英国民投票~なぜイギリスの実質賃金は下がり続けたか=三橋貴明
イギリス離脱決定。崩壊する「EUの理想」と3つの危機シナリオ=吉田繁治
イギリスEU離脱が確定。日本がほとんど報じぬユーロ経済「大不況」の実態
運命の6月23日。EU離脱の是非を国民投票に託したイギリスの行く末は
この中では、ブレイディみかこさんと内田樹さんの記事がもっとも腑に落ちた。
この問題は政治的側面と、経済的側面がある。
内田さんの言われるように、「理想」と「現実」と置き換えても良い。
ヨーロッパは歴史的に領土や宗教的理由での争いが絶えなかった地域だ。EUが成立したことで、そういった国家間の「前時代的」争いの決別が図られた、と世界中の人々は見たはずだ。そこに「成熟したヨーロッパ」を見た人も少なくあるまい。
しかし、「現実」は政治的統合のみならず経済的統合、すなわち「経済のグローバル化」が計られ、結果的に加盟国間の格差のみならずEU全体での格差を広げることになってしまった。
EU離脱派が単に「自己中」であると言うわけではない。
個人的にグローバル資本主義は上手くいかないと考えているので、その意味では私自身は離脱派でありうる。しかし政治的理想を手放すには、あまりに惜しすぎる。
内田さんは離脱派を「国民国家の威信や主権を優先する志向」としているが、実際には
そもそも、反グローバル主義、反新自由主義、反緊縮は、欧州の市民運動の三大スローガンと言ってもよく、そのグローバル資本主義と新自由主義と緊縮財政押しつけの権化ともいえるのがEUで、その最大の被害者が末端の労働者たちだ。
緊縮財政と「自由な人の移動」は致命的なミスマッチだ。この二つは合わない。
なぜなら、その犠牲になるのは末端労働者たちであり、英国の場合、この層はいつまでも黙って我慢しているような人々ではないからだ。
ということだろう。
政治的理想と経済権益をごっちゃにして推進しようとするのはEUだけではない。アメリカの常套手段である。アメリカが軍隊を動かす時のスローガンは必ず「世界に民主主義を」だが、実際には石油利権など自国の利益のために動いている。それ以外には絶対に動かない。
要するに、政治的側面と経済的側面は明確に分けて考える必要がある、ということか。