「The GATE」を観る

19日土曜日、天空カフェジールへ「The GATE」の上映会に行ってきました。

実はこの映画を見るまで、こういったことが行われたという事実を知りませんでした。
当時、マスコミで話題にならなかったのか、あるいは僕の中で意識していなかったのか。

どちらにせよ、恥ずかしいことです。

映画は長崎のとあるお寺から始まります。

監督のマット・テイラーさんは、幼少期を日本で過ごし、日本人に育てられたそうです。
そして托鉢に来るお坊さんが強く印象に残っているそうです。

禅寺では、マットさんの提案により福岡県星野村にある「原爆の火」を人類が最初に原爆実験を行ったグラウンドゼロ、アメリカニューメキシコ州トリニティへ返すことが話し合われていました。
サンフランシスコから歩いて、その火を届けようと言うのです。2500キロの道程です。
原爆の火を始まりに戻すことで、負の連鎖を絶とうというのです。

第2次大戦においての原爆投下の是非は、いろいろと議論されて来ています。
しかし、当事者の一方である我々日本人は、本当に真剣に考えて来たのでしょうか。
毎年、原爆記念日の式典は放映されますが、何か人ごとのように捉えてはいないでしょうか。

僕も含めて「戦争を知らない子供たち」は、イメージでしか分かりません。
「はだしのゲン」であったり、「ガラスのうさぎ」だったり、実際に修学旅行で見た原爆資料館の蝋人形のリアルさだったり、これまで原爆に関する情報が望めばあったに関わらず、日常とはかけ離れているが故になかなか意識に上る機会が少なかったのは否めません。

もう一方の当事者、アメリカではもっと事態は深刻です。
以前のNHKの番組で、アメリカの教科書に原爆のことがどれだけ出ているのか、高校生がどれだけの知識を持っているのか調査したものがありました。
それによると、教科書には全くと言っていいほど載っておらず高校生も何も知りません。
原爆投下直後の広島、長崎の写真を彼らに見せ被爆者の話を聞かせると、例外なく絶句していました。

実は、被爆者は日本人だけではないのです。

アメリカの原爆実験場付近の住民は、「wind downers(風下の人々)」と呼ばれ、世代を越えて放射能の影響に苦しめられています。
おそらくは、アメリカ国内でもその人々の存在は隠されてはいないにしろ、彼らの苦しみはその他のアメリカ国民にはそんなに深刻な問題とはされていないのでしょう。
国の大義のための犠牲として。
まるで、今の日本における沖縄のように。

国とは、誰のためにあるのか。

原爆とは一体なんだったのか、アメリカとの関係とは一体なんなのか、私たちはどこへ向かおうとしているのか。
そのことを今一度、振り返ってみるいい機会をいただきました。

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