教科書には載らない歴史の方が実は多い

2.26事件 千の証言から 第1部/1(その1) 焼け落ちた祖国

毎日新聞

包み紙を開いていくと、朽ち果てそうなひも状の燃えかすが出てきた。終戦直後、落日の満州で燃やした大学の校旗のふさだという。1年だった佐藤挙男(たかお)(87)=宮崎県綾町=は、燃えかすに秘められた話を語り始めた。近代史上最大のクーデター未遂事件である2・26事件に関わった元エリート軍人の物語である。

 終戦翌日の1945(昭和20)年8月16日昼、満州国立大学哈爾浜(ハルビン)学院で、校旗を燃やす閉校式がひっそり行われた。集まったのは学生十数人。いげたに組んだ丸太の上に校旗を置き点火する。旗は音を立てて燃え上がり、紅蓮(ぐれん)の炎は満州の空にかけ上った。炎のそばで微動だにせず、敬礼し続ける院長の姿を、佐藤はいまも忘れない。

 渋谷三郎。首都を警備する陸軍歩兵第3連隊の連隊長だったが、36年2月26日の2・26事件で人生が狂う。

 渋谷の連隊は、反乱軍の中心となった将校が10人近くいたほか、動員された下士官や兵士約1400人のうち900人以上が所属する主力部隊だった。

 渋谷は計画を知らず、事件後更迭され、失意のまま満州に渡る。43年4月、満州国治安部次長の退官を機に、哈爾浜学院へ移る。事件のことは、同じ宮崎出身の佐藤にも「私が留守の時に起きた」と口にしただけで、多くを語らなかった。

 温厚で学生思い。卒業生たちの渋谷評であるが、事件の時も、反乱軍に加わる部下への思いを貫いた。哈爾浜学院史によると、反乱軍への討伐命令が下った最終局面で、渋谷が戒厳司令部に怒鳴り込む姿を東京日日新聞(現毎日新聞)の記者が目撃している。

 「罪のない俺の部下を殺すのか。もしそうしたら親が怒り、地方で暴動が起きるぞ。説得するまで待て」。この脅しがきっかけの一つになり、「兵に告ぐ 今からでも遅くない」という有名なラジオ放送につながる。兵たちは、鎮圧軍と交戦することなく帰順した。

 炎を見つめ、灰になった校旗を前に渋谷は何を思ったのか。5日後、妻や次男とともに命を絶つ。佐藤は同級生らと食堂のテーブルでひつぎを作り、トラックで遺体を運び、泣きながら学院の隅に葬ったという。

 学生たちにあてた遺書には「一人一人が新日本建設の礎となられることを期待し、草葉の陰より諸君の前途を見守っております」とつづってあった。(敬称略)

     ◇

 戦争体験者は年々減り、未来に向けた証言の継承が危うい。戦後70年で毎日新聞が取り組んだ「千の証言」への投稿者を全国に訪ね、もう一度、戦争体験に耳を傾けた。証言を積み重ねれば国民が見た戦争史になる。まもなく80年を迎える2・26事件の秘話から、国民の戦争史をひもとく。(次回から2面に掲載)<文・写真 砂間裕之><2面につづく>


 ■ことば

2・26事件

 平等主義を掲げる国家社会主義者、北一輝らに影響された陸軍皇道派の青年将校らが、天皇親政を求め、内閣打倒を企てたクーデター。高橋是清蔵相や斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監ら要人が殺害されたうえ、首相官邸や警視庁など首都の中枢が4日間にわたって占拠された。当時、日本は満州事変(31年)で国際的に孤立。世界恐慌によって国内経済も行き詰まり、政治家らを狙ったテロが頻発していた。

文中の佐藤さんは、実は僕のお隣さんです。延岡高校(旧延岡中学)の大先輩でもあります。

普段から色々とおつきあいさせて頂いているのですが、とにかく様々な引き出しをお持ちの方で話が尽きません。
中でも、当時ハルピン大学生であったタカオさんの終戦からシベリア抑留の話は貴重なものです。
だって、僕の周りには昔から今に至るまで、当時の生々しい体験をお聞きできるのはタカオさんだけなのですから。

今回の毎日新聞の記事のお話は、僕も初めて聞くものでした。
恥ずかしながら2・26事件の事は学校で習ったなあ、くらいの知識しかないのですが、教科書で習う人名だけで歴史が動いていたわけではなく、ちょっと考えてみれば当たり前のことですが、多くの関係者がそこにいたわけです。
そういった歴史は決して学校で習う事はありません。教科書に書いてある事が歴史の全てのように錯覚しがちですが、本当はもっと想像力を働かせなくては歴史の真の姿には近づけないのでしょう。
渋谷三郎さんの事をネット検索してもほぼ皆無です。

この記事にある渋谷三郎さんの人生を思いやる時、涙を堪える事ができません。
自分が直接関係していないにも関わらず、自分の部下に対してどれだけの責任を感じておられたのか。自決の決心も、おそらく2・26事件後更迭された時からその(敗戦への)予感はあったのではないか。一緒に全うされた奥様と御次男さんへの思いはいかばかりであったのか。

この記事を読んだ時に、城山三郎「落日燃ゆ」をすぐに思い出しました。
東京裁判で、死刑を執行された唯一の文官、広田弘毅。
彼の生き様に感動を覚え、物語を思い起こすたびに万感迫ります。
それだけの責任を背負い、覚悟を持って日本のために働いた人たちがいたのだ。

「先人たちの尊い犠牲を無駄にしない」というのは、こういう人たちの人生を忘れないという事ではないでしょうか。

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