今、起きていること。
とうとう日本でも全国に非常事態宣言が発令されました。いや、遅きに失すと言っていいくらいだと思います。もはやこの国の政府がまともに機能していないことは、400億円以上の税金を使って不良品のマスクを各家庭に勝手に送りつけていることからも明らかです。
しかし今の政府が機能していないことは今に始まった事ではないので、ここではそれを取り上げません。政治に期待できない今、私たちはどう考え行動すればいいのでしょうか。
まず、この新型のコロナウイルスCOVID-19は一体どういうものなのか。
ノーベル賞学者である山中伸弥先生が積極的に発信を行われています。
新型コロナウイルスとはhttps://www.covid19-yamanaka.com/cont1/main.html
このCOVID-19がインフルエンザ等の概知のウイルス性疾患と違うのは、感染力が大きい(らしい)こと、感染していても無症状者が多い反面、重篤化から死亡に至る流れが突然来る、ということです。
COVID-19が重篤化するメカニズムは、まだはっきりとは解っていないようです。が、少しずつこうではないか、という研究成果も出てきているようです。
新型コロナウイルスは、いかに感染し、そして重症化するのか? そのメカニズムが研究で明らかになってきた(wired.jp)
世界各国の調査によると、性別や年齢層によって感染しやすさが異なり、ウイルス感染の重症度や死亡率に非常に偏りがあることがわかってきた。男性、高齢者、そして糖尿病・高血圧・心疾患などの“持病もち”が最も重症化しやすいことがわかっている。
症状としては、軽症の例としては下痢や嘔吐(腸)、嗅覚・味覚異常(鼻)があり、重症の例としては腎障害(腎臓)が挙げられるそうです。
そして肥満であることが重症化のリスクを高めている、と指摘されています。
そしてこの新型コロナウイルスに特徴的な症状が、一旦回復したように見えて突然重篤化し死に至る場合がある、ということです。
COVID-19の発症から治癒には、奇妙なパターンがある。まず患者は最初の1週間ほど、かぜの症状、ひどい人ならインフルエンザのような症状を経験する。そしてだいたい7日目には、これらの患者は少しだけ症状がマシになったと感じるようだ。
ところが、軽症と重症化の明暗が分かれるのが7~10日目である。軽症の患者はそのまま快方に向かうが、重症化する患者は少しだけ気分がよくなったあと、突然悪化する。サイトカインストームが起きるのだ。
「サイトカインストーム」とは、簡単にいえば本来外部からの異物(コロナウイルスなど)に対して働く免疫が暴走し、自分自身を攻撃し始めること(のひとつ)です。その結果、複数の臓器で炎症を起こし死に至る、ということです。
COVID-19のもう一つの特徴として、若年者(子供)は感染が見られない、或いは無症状であることが多い、ということです。大人と子供の違い、ここに何か秘密がありそうです。
私たちにできること。
こういった未知の感染症に対して、私たち自身には何ができるのでしょうか。
- 感染しない、させない。
- 自己免疫力を低下させない。
- 生活のあり方自体(社会構造含めて)考え直す。
これに尽きるのではないでしょうか。こういった新たなウイルスに対する抗体は、いずれ人類の間に定着します。しかしそれまでの間、現在世界中で見られている混乱に置かれることになります。それには2から3年掛かるとも言われています。
感染を防止するためには手洗いとうがいが有効であることが示されています。
マスクはしたほうが望ましいですが、可度の期待はしないほうがいいでしょう。何より、人との接触を出来るだけ避けることです(という理由から外出自粛が勧められています)。
あらゆる疾病に対する最高の治療および予防は、自分の免疫力です。
免疫は、自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスが崩れると大きく低下します。低下は、免疫がうまく働かない、逆に働きすぎる場合があります。これは私自身がストレスによって自律神経のバランスを崩し、全身に蕁麻疹(じんましん)が出て数年間苦しんだ実体験から来る、個人的な結論です。その時は、医者から処方された薬による治療をやめ、食を含めた生活スタイルの見直し、具体的には昼夜の区別をはっきりさせる、仕事のオンとオフをはっきりさせる、夜はパコソンを触らない、早寝早起きを心がけるということを実践したのち時間はかかりましたが自然治癒しました。
私の場合は、交感神経有利になり、興奮状態が続き(夜に上手く眠れない)免疫系が過剰に反応する(自分の汗でかぶれる等)ようになったため、と自己診断しています。要は働き過ぎ、です。
ストレスが免疫力を低下させることは、ほぼ間違いありません。
この機会に、自分のストレスに向き合い、その原因を探り除くことを実践してみては如何でしょうか。その際、それを外部に求めないことです。それは新たなストレスの元となります。多くは自分の誤った現実認識や誤謬、自己中心的な考え方からくるものです。
(お断りしておきますが、この非常事態に政治を批判してもしょうがない、という意見もありますが、政治に対して国民が自分で考え意見をする、ということは民主主義の基本であり、それなくしては民主主義はありえません。それは自己の内側の精神的なストレスとはまた違う次元の話です。もちろん無関係であるということでもありません)
ウイルスを極度に恐れることもまた、ストレスの原因となりえます。ウイルスは敵や攻撃してやっつける存在ではありません。もともと、私たちの体には無数の細菌やウイルスが共存しているのです。それらは私たちが健康である限り、何の悪さもしないどころか役に立ってくれています。彼らのおかげで私たちの健康が保たれている側面も忘れてはなりません。
政治に期待するもの。
政府に対しては多くの方が御意見を様々な場所で言われているので、ここでは地方自治に焦点を当てて考えて見たいと思います。(一つ言えることは、政府が発表する数字自体も信憑性が低いと言わざるを得ない、ということです。意図的に隠しているとは思いたくありませんが、検査数が絶対的に少ないうえに、日頃の文書改ざん問題を忘れろと言われても無理があります。地方自治体及び個人は独自の情報取集を心がけるべきです)
例えば私の住む宮崎県綾町は人口およそ7000人の小さな町です。県庁所在地である宮崎市まで20kmほどと、通勤圏内にあり、もし宮崎市や近接する町で感染爆発が起きれば他人事ではすみません。
また、町内には大きな病院はなく、小さな内科医院が二つあるだけです。したがって、重症患者は宮崎市内に運ばれることになります。当然考えられるのは、その時は既に、宮崎市内の限られた病床は埋まっている可能性が高い、ということです。
そう考えてくると、町内から重症患者を出さないこと、が大事になってきます。そのためには感染が広がらない施策、つまり早期発見早期隔離が重要です。韓国や台湾が行って4月23日の時点で日本と違い、感染拡大が徐々に収束する気配を見せている、同じ様に倣うべきです。
町民への注意喚起、だけでなく独自の検査システムの導入も検討すべきです。無症状者を含む軽症者については、町内の宿泊施設を簡易の病床にし、隔離及び経過観察をすることです。
政府にできなくとも地方自治体になら出来ること、例えば公共料金の免除等も、またあるはずです。
また、この状況下での大規模な自然災害(及びそれに伴う原発事故等)への対策も考慮しておくべきです。
私ごときが考えつくことは、既に検討されているとは思います。
経済について。
命が大事かお金が大事か。当然命であるわけですが、しかし経済が回らなくなるとそのことが感染症とはまた別に生命を脅かす結果にも成りかねません。
今の政府の右往左往ぶりは、間違った解釈で経済を優先させた結果といっても過言でもありません。世界中で感染が広がる中、根拠のない楽観主義なのか、クルーズ船による集団感染が問題になってもオリンピックを続けようとしました。3月24日にIOCによる延期発表があると小池東京都知事はそれまでの態度を一変させ、感染症の危機を謳い出しました。個人的には、その時点で既に後手に回ってしまったと考えています。その前に準備を始めるべきでした。そして一月経った今、全国に非常事態宣言が出され、東京、大阪、福岡では感染者が増大し続けています。早くに感染者が出た北海道ですら、収束の道が見えてきていません。
本当に経済を優先したいと思えば、早期に感染拡大を食い止めるべきでした。事実、初期に検査を徹底した韓国や台湾では非常事態宣言を発令せずとも、感染者の増大を抑えています。結果的に経済を止めずに済んでいる。しかし、オリンピックがその判断を遅らせてしまった。
そのためには直接の現金支給等の緊急の救済措置、経済出動をためらうべきではありませんでした。
国で観ると、そういうことだと思います。それに対して、国民として政治にコミットし続けることも大事ですが、個人的にはどのように考えていけばいいのでしょうか。
私は「21世紀の経済論」において、「お金の呪いからの解放」を訴えています。経済をお金で考えることで、余計にストレスを抱えてしまう、からです。そのためには、呪いの正体、つまりお金とは一体な何なのか、お金を使う便利さと引き換えに私たちが失っているものは何なのか、を理解することが必要です。
経済とは「必要とされているものが、必要としている人の元へ届くこと」であり、それ以上でも以下でもありません。
必要とされているものとは何でしょうか。いや、私たちが生きていくために本当に必要なものとは何でしょうか。それは「きれいな空気」「きれいな水」「安心安全な食料」「信用と信頼に成り立つ人間関係」ではないでしょうか。それらが普段に手に入る環境にいる人は、このコロナ騒動の中でも大して慌てる必要もなく、ほぼ変わらない日常を送れているはずです。
もちろん、私も自営業者なので借金を抱えての操業の大変さも分かっているつもりです。借金によるストレスによって、数年に渡って体を壊したのですから。
ところが私たちは、いつの間にか本当に必要なものよりもお金のほうを大事にしてしまいがちです。そこにはそうなる「からくり」が潜んでいます。
本当に大事なもの(実体経済)は腐りますが(時間と共に価値を減じる)、お金は腐ったりしません。それどころか、金利で増えていきます。にもかかわらず経済をお金で考えるということは、その矛盾を無視しているということです。
お金(通貨)は生まれた時から借金です。日銀が日本銀行券(紙幣)を発行するときには、必ず政策金利がつきますし、これがマイナスになることは決してありません。私たちは、円を使う以上、その金利分を返し続けなければならない、ということです。それは円に限らず、ドルやポンド、ユーロ、元でも同じです。
それだけではありません。私たちの社会に出回っている「お金」のほとんどは、銀行の信用創造によって産み出された「数字」でしかありません。その「お金」もまた、私たちが銀行に対して行う借金によって産み出されたものです。
株式会社というシステムもまた、基本的には資本家からの借金によって運用されているものです。
つまり今の資本主義社会とは、借金構造によって成り立っています。この借金による潜在的な社会ストレスが私たち全体を覆い尽くしている、と言っても過言ではありません。
借金、つまり「金利」こそが私たちが共通して抱えている社会的ストレスの原因なのです。
お金は取引の道具にしか過ぎません。どうして私たちはいつの間に道具によるストレスを抱えるようになってしまうのでしょうか。
それは一般的に言われている三つのお金の役割、価値の判断基準、交換の道具、価値の貯蔵、それらは実はお金のメリットだけを言っており、実はその裏にはデメリットが潜んでいるから、です。そのデメリットこそ、お金の呪いの正体です。
そのことを腑に落とすことによって、初めて私たちはお金と対等に付き合える、使いこなせると言えるのではないでしょうか。
お金の仕組みは巨大なシステムですから、私たちが個人でできることは限られています。出来るだけ借金をしないこと。お金を使うデメリットをきちんと理解し、お金とは節度を持った距離で付き合うこと、です。お金を否定する必要はまったくありません。お金にいいも悪いもないのですから。そして、自分が使ったお金がどこに流れ、どう使われるのかを意識して使うこと、です。
経済をお金で考えないこと。
お金は取引の道具だから、お金の流れを追えば経済を見たことになるという考えは間違っています。なぜならそこには矛盾があるからです。実体経済は価値を減じるのに、貨幣経済は増殖するからです。前提こそが間違っているのです。
ですが中世ヨーロッパに端を発したこの資本主義とお金のシステムも限界に来ています。そしてそれに追い打ちをかけたのが、東日本大震災であり、今回のコロナ騒動です。私たちが資本主義から脱却する、卒業するいい機会だと捉えるべきです。
これからのこと。
今、このシステムをどうかしなくてはならない、という政治家も現れてきています。私が注目しているのはれいわ新選組の、大西つねきさんです。
いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い
つねきさんの主張は、私が21世紀の経済論で訴えることと、基本的には変わりません。ただ、元金融トレーダーという経歴もあり、私のものよりも専門的かつ具体的な施策を提言されています。
特に、政府の借金は国民の資産であるというお話は、私にとっても目から鱗でした。
拙著では、「政府の借金は国民の税金で返す必要がある」という趣旨を書きましたが、そこは訂正しなくてはならないようです。現在の日本の経済で起きていることは、政府が借金し続けなければ、もはや国内の経済は回っていかない、ということでした。
これは昨今注目されているMMT理論に通じるのですが、MMT理論とつねきさんの主張との大きな違いは、哲学の有無、です。哲学無きところに「お金はいくら刷っても大丈夫」という話を持ってくることは、厳に慎まなければとんでもない事態を引き起こしてしまいます。いや、もう既に安倍政権は引き起こしつつあります。表向きは「これ以上赤字国債を発行するわけにはいかない」といい国民に対する保障は渋る一方で、対外的な外交や兵器の輸入には湯水のごとくお金を使うダブルスタンダードがまさしくこれです。
つねきさん以外で、ポスト資本主義、つまり資本主義の次に来る社会システムに具体的に言及している政治家を私は知りません。「安倍さん(自民党)の他にいないから」「野党には対案が出せない」というのは、野党も資本主義の土俵の上でしかいまだ経済を考えられないからです。これは共産党も例外ではありません。
大西つねき、是非注目してみてください。
お金は生まれた時から借金である、と指摘しましたが、それが社会全体が経済成長し続けなければならないというストレス(脅迫、と言ってもいいかもしれません)になっています。が、ここ数年およそマイナス成長に転じる危険性、というかアベノミクスによる表面的な景気演出が指摘されてきていました。そして今回、予想を超える落ち込みが現実になりそうです。
内田樹さんは、未知のマイナス成長には、既存の中央集権型の政治構造に捉われることなく、地方自治が踏ん張らなくてはならない、と言われています。それは私たち一人一人が、自分で考え、行動することに他なりません。
コロナ禍で未知のマイナス成長期へ 内田樹「五輪、万博、リニアなどはむしろ害に」
コロナ後の世界(内田樹の研究室)
藤原辰史さんは、人々の心理的崩壊を危惧されています。
藤原辰史:パンデミックを生きる指針——歴史研究のアプローチ
第一に、うがい、手洗い、歯磨き、洗顔、換気、入浴、食事、清掃、睡眠という日常の習慣を、誰もが誰からも奪ってはならないこと。あたりまえだ、という反応が帰ってきそうだが、歴史が我々に教えているのはむしろ、戦争とそのための船上および鉄道での移動がこのあたりまえの習慣を困難にしたことである。人間を不衛生な場所に収容・監禁することがこれを困難にしてきた歴史も、私たちは知っている。
第二に、組織内、家庭内での暴力や理不尽な命令に対し、組織や家庭から逃れたり異議申し立てをしたりすることをいっさい自粛しないこと、なにより、自粛させないこと。その受け皿を地方自治体は早急に準備すること。
第三に、戦争にせよ、五輪にせよ、万博にせよ、災害や感染などで簡単に中止や延期ができないイベントに国家が精魂を費やすことは、税金のみならず、時間の大きな損失となること。どのイベントも、その基本的な精神に立ち戻り、シンプルな運営に戻ること。とくに、日本のような災害多発列島はいつキャンセルしても対応可能な運営が望まれる。
第四に、現在の経済のグローバル化の陰で戦争のような生活を送ってきた人たちにとって、新型肺炎の飛沫感染の危機がどのような意味を持つのか考えること。危機は、生活がいつも危機にある人びとにとっては日常である、というあたり前の事実を私たちは忘れがちである。
第五に、危機の時代に立場にあるにも関わらず、情報を抑制したり、情報を的確に伝えなかったりする人たちに異議申し立てをやめないこと。
危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日常の危機を顕在化させる。危機以前からコロナウイルスにも匹敵する脅威に、もう嫌になるほどさらされてきた人びとのために、どれほど力を尽くし、パンデミック後も尽くし続ける覚悟があるのか。皆が石を投げる人間に考えもせずに一緒になって石を投げる卑しさを、どこまで抑えることができるのか。これがクリオの判断材料にほかならない。「しっぽ」の切り捨てと責任の押し付けでウイルスを「制圧」したと奢る国家は、パンデミック後の世界では、もはや恥ずかしさのあまり崩れ落ちていくだろう。
今回のコロナ騒動は長期化することは間違いないでしょう。
科学が示す「コロナ長期化」という確実な将来
3つの変数でわかる私たちがとるべき対策
長期化に備え、心の準備をしましょう。経済的な不安はもちろん小さくはないでしょうが、お金を理由に死ぬことはありません。所詮お金なんですから。ただの数字です。
お金を回すこと、は大事ですがそもそも本当に必要なもの以上に廻しすぎている、お金を増やしすぎていることからこの世界的な経済混乱は起きています。必要以上の経済活動は環境問題にも直結します。経済格差問題も然り。自分の身の周りだけでなく、私たち一人ひとりが広い視野を持って経済というものを考え直す必要があります。
今後の医学的な推移は、神戸大学感染症内科の岩田健太郎先生のブログも参考になります。プリンセス・ダイアモンド号の集団感染の際に、最初に現場の対応に疑問を投げられた方です。
明るい未来は私たち一人ひとりの考え、行動にかかっています(^_-)