改めてまして新年あけましておめでとうございます。年初から、能登半島沖地震、羽田空港事故、北九州の大火事等、立て続けに大事件に見舞われた新年でした。亡くなられた方々、現在も被災され避難生活を強いられている方々、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。また、関係各所で復興にご尽力されている方々に感謝申し上げます。
一般質問
1.鳥獣害対策について
議会でも度々話題に上がる鳥獣害対策について、これまでの経過、今後の方針を問う。
鳥獣害は一つの地域でうまく行ったからと言って解決するものではない。広域で考えるべき問題だ。県との連携はどうなっているのか。
興梠)これまでの経緯として、国による電柵等の資材の補助があり、町の負担で設置。現状では管理不十分なところで被害。まずは農家自身が責任を持つことが肝要。獣害対策はある地区だけの問題ではない。広域で考えるべき。県の対策計画は生息調査だけで実際の取り組みは不明。県の鳥獣害対策支援センターの職員は3名、基本的な防護柵指導が中心。本腰で取り組むならば全く不十分。支援センターによれば里に不要野菜、果樹の放置といった餌場を作らないこと。ならばそれを逆手に取り、山中に人工的な餌場を作れば良い。前例がなく一考の価値はある。
町長)令和4年度被害は大体面積130a、金額284万5千円。まさに喫緊の課題。対策として現状はおおよそ前述の通り。耕作放棄地対策は農業委員会とも協力し、県自然環境課、対策センターとも連携し罠の初心者講座を実施、その他調査等に協力。さらに連携を深め、町内では生産者のみならず地区全体として対策の重要性を啓蒙する。
興梠)人工的な餌場については、森の植生にも留意しつつ野生動物の生態、行動に詳しい専門家に相談すべき。上手くいけば駆除にも有利、のみならず本来の狩猟にもなる。ジビエ処理加工施設計画も念頭に、是非検討してほしい。
2.GIGAスクールについて
令和元年2019年より国が推進しているGIGAスクール。コロナ禍と相まって急速に導入されている。教育現場のICT化による利点、特に教員の負担減について異論はないが、子供たちに対するデメリットついての基本的方針を伺う。
興梠)2019年から国が主導しているGIGAスクール構想(教育ツールとしてPCと高速ネットワークを整備)。教育現場のICT化による利点について異論はないが、子供たちへのデメリットについてどのように考えているか。
教育長)児童生徒個別に最適化された学びを実践するために、現場ではITツールを使った様々な実践が行われている。一方でタブレット等の過剰使用による視力の低下などの健康への懸念も。文部科学省のガイドブック(様々な留意点がわかりやすく解説してあり、家庭内でも適切に指導できる内容も含む)に従って画面との距離を30cm以上離すこと、30分に1回は30秒以上休めるなどを指示。情報モラル教育の参観授業なども実施。デジタル機器の恩恵に預かるのはいいが、過剰評価されすぎて、子供たちが依存してしまってはいけない、という認識を私も校長たちも持つ。やはり体験活動を通して物事を考えていく、バランスが大事。今後もより効果的な教育実践を検証していく。
興梠)神経の発達可塑性という現象がある。生後ある期間までに適切な経験・刺激がないと脳内含む神経系がそれ以降発達しないというもの。ヒトの場合成長までに20年以上かかり、例えば前頭葉などは発達が遅く30歳近くまでかかる。便利なものを使う、すなわち自分の本来持った能力を使わないということ。不便だからこそ、知恵や体を使って鍛えられる。憲法23条には「学問の自由」があるが、機器を使う使わないという自由もあるはず。
教)当然である。強制にならないように指導する。
町)日本はICTリテラシーが遅れて国力を削いでいる。教育現場というより家庭の問題では。
興梠)子供たちへの影響とICT化が遅れているというのは別の話だ。
町)同じことだと思う。
興梠)便利なものはすぐに簡単に使える。あえて教える必要はない。教育の意義は別にある。
町)子供たちの将来的な成長にはデメリットばかりを強調すべきではない。
興梠)国が推進しているからメリットが強調される。成長の大事な時期だけにデメリットに注意してしすぎることはない。
町)この場で議論しても始まらない。
3.議会のICT化について
11月1日議会運営委員会の視察研修で、熊本県美里町を訪問した。美里町ではICT活用によるペーバーレスが進んでおり、議会の会期短縮の一助となっていた。議会だけでなく、全庁含めた今後のICT化について伺う。
興梠)議会と執行部の情報共有や連絡の面で共通のプラットフォームを採用するなど配慮する点が多々あるが、見解を伺う。
町)総務省より自治体DX推進計画が提示されている。全庁的なICT化についても本計画に基づいて推進している。自治体向けチャット機能であるlogoチャットを導入し、内部的な会議等のペーパーレス化に取り組む。議会の共有については、まず議員の間でITリテラシーを高めて欲しい。R6年3月からは議会のネット配信が可能になる。
4.観光並びに移住促進対策について
先日、宮崎カーフェリーを利用する機会があったが、フェリー内には川南町、都農町、延岡市等の観光パンフが配布されていた。観光だけでなく、川南町は移住促進のパンフもあった。フェリーは特に船内での時間がゆっくりとあり、手に取って見る機会が多い。フェリーに限ったことではないが、各交通機関で綾町でも配布するべきではないか。今後の方針を伺う。
町)カーフェリーの新造船就航当時、パンフレットを持参して挨拶に伺っている。先日11月28日に改めて持参してお願いした。その他、宮崎駅、空港ビル、宮崎交通など主な窓口にはそれぞれパンフの設置をお願いし、なくなる前に連絡をいただけるようお願いしている。
5.町民体育大会について
長年続いている町民体育大会だが、見直しを求める声をたくさん聞く。その始まりから、そもそもの目的を質問する。その上で、今後どのように考えていくのかを問う。
町)そもそもは町民の連帯意識の高揚を目指し、親睦と融和の輪を広げ、体力の向上と健康増進を図ったもの。私自身も楽しかった思い出があり、引き続き実施していきたい。しかし少子高齢化などの要因により、これまでの競技内容の実施が厳しくなっているのも事実。11月24日に開催された子ども議会でも提案されたが小学生から高齢者まで一緒に楽しめる、レクリエーション的な種目への転換も考えられる。教育委員会では令和6年度の内容等の検討を自治公民館館長会、スポーツ推進委員の会議等で検討を始めている。
興梠)私が聞いた限りでは廃止の声が多かった。しかし子ども議会でそのような提案があったということであれば、それは尊重した方がいいのかな、と答弁を聞いて感じた。
6.各民主団体の再編と事業見直しについて
町内の民主団体の年齢での区別について、近年の高齢化に伴い再考する余地があるのではないか。それに伴い、それぞれの団体で受けている事業も見直しの必要があるのではないか、見解を伺う。
興梠)ある高齢者クラブの方から伺った話だが、小学校で自分で箸を作る事業があり、例年4人を派遣していたが、今年は3人しか都合がつかなかった。どの団体がどういう事業を受けるかというのを、年に1回、あるいは2年に1回とか調整会議をしてはどうか。
町)町民体育大会でもそうだが、無くすことは簡単だ。公民館長会でもやらなくていいのではという声もあったが、多くの館長さんはやめたらもうできなくなる、という危機感を持っている。私も同感だ。内容を変えて、継続する方向でいきたい。民主団体についても、高齢化していき、若い人たちの関心も薄れて負担を感じるようになり、公民館活動すら非常に危機的な状況になっている。民主団体についても、再考する時期に来ていると感じており、今後協議していきたい。
教)さまざまな学習支援ボランティアを町内の各種団体に協力要請している。その調整役として社会教育課に地域コーディネーターも配置されている。今後はしっかり調整していきたい。
以上について、一般質問を行いました。
消費税廃止を求める意見書案
今回、私の発案で、上野一八議員が賛同者となり「消費税廃止を求める意見書(案)」を提出しました。
【意見要旨】
1989年から始まった消費税だが、その弊害が顕著になっている。国家予算の骨格を成すのは国債であり税収はその一部にしか過ぎない。国債発行による信用創造によってお金が作り出され社会の経済は動いているから、消費税が財源確保のために必要という論は成り立たない。社会の景気が好順するためには、格差はある程度の範囲に抑えておく必要がある。消費税は逆進性が高い税金であるため、不景気をさらに悪化させ、結果として税収も低下し、税制として致命的な欠陥を孕んでいると言わざるを得ない。「税の公平性」に反しているからだ。消費税という呼称からして、この税制の本来の姿を表していない。消費税は消費者からの預かり税ではないという判例が、平成元年に東京、大阪地裁において確定している。消費税の滞納が多い理由はその逆進性にあり、インボイス制度はそれに拍車をかけている。また二重課税の恐れもある。消費税は国内の取引にのみ課税されるため、本質的に輸出企業に対しての超優遇政策である。以上のことから、消費税の存在は弱いものから搾り取り、国家の根幹を弱体化させる悪税以外の何物でもないと言わざるを得ない。
国家は誰のためにあるのか。税金の役割は「所得の再分配による景気の調整機能」である。今こそ基本に立ち返るべきだ。消費税の構想は1978年大平政権時代に始まっており、当時とは時流が全く違っていることも忘れるべきではないだろう。
以上のことから、下記の実現を強く要請する。
記
消費税を廃止すること。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
【意見本文】
1989年から始まった消費税であるが、消費税そのものの弊害が顕著になってきている。そもそも税金の役割は「所得の再分配による景気の調整機能」である。社会の景気がうまく回るためには、社会の格差はある程度の範囲に抑えておく必要がある。貧困層が増えればそれだけ消費が落ち込むのは自明の理である。しかし消費税は逆進性が高い税金であるため、貧富の格差を広げ景気が悪いときにさらに悪化させる効果が働く。結果として税収も低下してしまう。税制として致命的な欠陥を孕んでいると言わざるを得ない。財務省のホームページには「消費税は、他の税とは異なり、世代や就労の状況に関わらず、広く国民の皆さまに負担をお願いするものです。」とわざわざあるが、全くもって不適切である。税金は世代や就労の状況に深く配慮されなければならない。消費税によって税収を確保するという当初の目的は以上のことより、税収を確保するがために税率を上げ続け、結果的に国民の生活を圧迫し長期に渡る不景気を増長し、税収の低下を招く負のスパイラルを招いているのが現状である。「税の公平性」に反しているからだ。
税金は国家予算の一部ではあるが税収のみが財源ではない。過去の国会答弁にもあるように、国債によって我が国の予算の骨格は成り立っており、それは国民の資産であっても決して借金ではない。日本銀行が発表しているマネーストックM2を見ても、一般銀行による国債引き受けによる信用創造によって通貨発行が行われ、それによって我が国の経済は回っていることは明らかである。税金で国債を返すということは、その分のお金が消えることを意味する。現状、国債が莫大な量発行されているにもかかわらず、国民の間で貧窮に喘ぐものが増えるのは政治的失敗以外の何ものでもない。偏った予算の使われ方を続けているがためである。必要とされているところに、必要なだけ使われていないからだ。消費税は社会福祉のために使われるから必要だという政府の説明がなされることがあるが、消費税がなくなったからと言って社会福祉がなくなるわけではない。消費税を廃止しても国家が破綻することは決してないし、取るべきところから取ればいいだけの話だ。賃金が上がらないのであれば、国が税金として企業内留保を回収し社会に還元するのが筋である。
消費税という呼称からして、この税制の本来の姿を表していない。消費税は消費者からの預かり税ではない。1990年(平成元年)に東京、大阪地裁において「消費者は、消費税の実質的負担者ではあるが、消費税の納税義務者であるとは到底いえない」「(消費税の)徴収義務者が事業者であるとは解されない。したがって、消費者が事業者に対して支払う消費税分はあくまで商品や役務の提供に対する対価の一部としての性格しか有しないから、事業者が、当該消費税分につき過不足なく国庫に納付する義務を、消費者との関係で負うものではない」との判決がすでに確定している。100円のジュースが税率10%だから110円で販売されているが、その10円がそのまま国庫には行くわけではない。にもかかわらず、国税庁のホームページには「消費税は、商品・製品の販売やサービスの提供などの取引に対して広く公平に課税される税で、消費者が負担し事業者が納付します。」とある。これも不適切である。あくまで事業者が収める直接税である。これまでの本体価格と消費税を併記する価格表示は政府主導で行われたものであるが、消費者に誤解を与えるものであって悪質である。消費税の滞納が多い理由はその逆進性にこそにある。インボイス制度は逆進性に拍車をかけるものだ。取引が複雑になると、最終小売価格の10%を超える税収となり実質的な増税である。インボイス制度によって圧迫されるのは弱小企業だけではない。構造的な「消費税の二重取り」によって消費者負担がさらに増えてしまう。さらに輸出企業には莫大な還付金がある。消費税は国内の取引にのみ課税されるからである。経団連が声高に消費税増税を叫ぶ最大の理由はここにある。消費税は本質的に輸出企業に対しての超優遇政策である。事実2020年の還付金は輸出大企業10社に対してだけでも1.2兆円以上が支払われている。以上のことから、消費税の存在は弱いものから搾り取り社会の貧富の格差を拡大し続け、国家の根幹を弱体化させる悪税以外の何物でもないと言わざるを得ない。
地方にあって賃金は未だ低い水準にあり、エネルギー資源の高騰を始め物価上昇は家計を圧迫し続け、国民の間では将来の不安が募っている。その上消費税増税がニュースを賑わし、国民健康保険税も上がり続けるばかりである。異次元の子育て支援は一体どこから始まるというのか。その財源は国民が新たに負担するのではなく、使うべきところに使わなければならない。地方自治体の自助努力にも限界がある。国家は誰のためにあるのか。税金は何のためにあるのか。今こそ基本に立ち返るべきである。消費税の構想は1978年大平政権時代に始まっており、当時とは時流が全く違っていることも忘れるべきではない。
結果としては、賛成2、反対7で否決されました。
この意見書案を提出するにあたり、元議員の方々数名にもご意見を伺いました。どの方も賛成していただき、元議長は「これに反対する議員がいるのか」ともおっしゃられました。
しかし結果は否決。その結果よりも、私が一番残念だった、危機感を覚えるのは議会で議論がなされなかったことです。
議会にかけられる前に、議会運営委員会で議会に図るべきかどうか、議論されます。実はそこで委員長が反対の旨の意見を言われました。内容は「夕張市のように財政破綻すればどうなるのか、他の自治体でもやっていない」などといったものであり、それぞれについて反論しました。橋本議員からは委員長の意見では議会にかけないという理由にはならない、と意見をいただき、議会にかけられる運びとなりました。
しかし、議員自身が意見書案を提出するという前例がなかった、ということで議長、事務局は思慮されたのでしょうが、実際には意見書案提案説明はあったものの、質疑がなく、委員会付託もなく議会として議論する機会がないままでした。
このことは非常に問題がある、と私は考えています。今後同じような事例の際には、しっかりと議長に進言したいと思います。
また、議会での議論がないにしても、一方で会期中に他の議員は私に対して説明を求めたり、質問しても良かったはずです。しかしそれもありませんでした。この件に関して、私の想像以上に議員間での関心の低さは、正直なところ残念でありました。この点については、私の日頃のコミュニケーション不足の問題もあると思います。そこは反省すべきところだと思います。
消費税の話などは国政で決めることで、地方議会に適さない、もっと足元の議題をという意見もありますが、消費税こそ、私たち町民の毎日の生活にのしかかってくる、足元の課題だと認識しています。このことについて、地方議会がこれまで発言してこなかったことにも、問題があるのではないでしょうか。
また、質疑はありませんでしたが、討論はありました。兒玉信議員、橋本由里議員、上野一八議員が反対討論され、外山ひろ子議員が賛成討論されました。
児玉議員の反対討論趣旨は、私の理解したところでは「個人的見解に過ぎない。政府・国会議員陳情に尽力した努力を無駄にしかねない」というものでした。肝心のどこがどのように個人的見解なのか、の説明はありませんでした。また、政府・国会議員陳情にこの件がもし影響するとするならば、そのような力学が働く、それはいわゆる反社会組織と何が違うのか、と私は考えます。みなさんはいかがでしょうか。
橋本議員の反対討論趣旨は、私の理解では「国債が国家予算の骨格であるという部分が理解できないから賛成しかねる」というものでした。後でなぜ私に聞かなかったのか?お聞きしたところ、共産党本部に問い合わせたから、との答えでした。やはり提案者自身に尋ねるべきではなかったでしょうか。
賛同者である上野議員の反対討論趣旨は、私の理解したところでは「当初の目的である議論がなされなかったことが残念。各方面に迷惑をかけたことをお詫びしたい」というものでした。自民党員である上野議員が党の方針に反する意見書に賛同したことについて、批判を浴びたことは想像できます。しかし、前述したように議会に上がった議題に対して、議論がなされなかったことが一番の問題です。それは議会が機能しなかったことを意味します。議会に上がる前に議論されなかったことが問題なのではありません。
外山議員の賛成討論趣旨は、私の理解では町民の利益になるから、というものでした。
なお、各議員の討論内容につきましては、あくまで私の理解の範囲であり、議事録、あるいはご当人に確認をお願いいたします。
奇しくも、会期中に「街の人に聞いてみた 2023年の世相を1文字で表す今年の漢字が発表」され、「税」でした。また、自民党による組織的な裏金づくりが発覚しました。タイミングとしてはこれ以上にないものだったはずです。にもかかわらず、綾町議会で議論がなされなかったことは、返す返す残念です。しかし、いろんな意味で勉強になりました。自分自身の力不足も痛感しております。今後も精進していく所存です。