The arangemet

母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)/河合隼雄」 を読んでいます。

河合隼雄さんは、言うまでもなく日本におけるユング心理学の第一人者でした。
日本人として初めて、ユング派分析家の資格をとられました。
エッセイや対談集はよく読んできたのですが、ご自身の専門的な本がまとめて手に入ったので、ここしばらく読んでいます。

この本では、欧米人と比べて日本人の「大人になり切れなさ」や「社会的な責任感が乏しい」のは何故なのか、それは欧米の「父性的社会」と対照的な「母性的社会」であるからではないか、ということを神話を読み解いたりあらゆる角度から分析したものを一般向けに読みやすくしたものです。

昨今、様々な社会問題のニュースで、いい年をした社会的にかなり上の立場にある方々が、そのあまりに幼稚な無責任ぶりをさらけ出している場面を目にします。
しかし、この風景は何も今に始まったことではありませんし、彼らに限ったことではありません。

この本は1976年9月に初版が発行されています。
実に39年前の本なのです。しかし、まったく内容的には色あせていません。
つまり日本は、日本人は大して進歩していない。(それは教育制度の問題だ、等などの議論はここでは置いておきましょう)

閑話休題。
まだ途中なのですが、興味深い箇所があったのでご紹介したいと思います。

それは河合さんがチューリッヒにあるユング研究所に在籍し、資格試験を受けるころの話です。(p148)

要約すると、それまで割と「優等生」的に順調に研究を進めてこられた河合さんは、「非常に難しい」資格試験を前に、とある指導教官(とても厳しく、河合さんにはとても頑固な女性に映られたようです)対策を立てました。
それは、ある意味その教官の好みに合わせた「無難な」方法だったようです。
しかし、試験当日、肝心のアンチョコを電車で40分の距離の下宿先に忘れてきてしまいました。

そこで河合さんは「これは何か意味のあることが起こるぞ」と思われたそうです。

そして試験の時、くだんのJ女史からの質問に対して、なんと真っ向から対決するような回答をしてしまいました。
周りの別の指導教官もなんとかその場をまとめようと努力してくれ、河合さん自身も、なんとかしなくてはと思いながらも、「雪道でスリップをはじめた車のように」止まらなかったそうです。

とにかく、その場は険悪なムードのまま終わったようです。
しかし河合さん自身は「悔恨の気持ちを混じえながらも、私はむしろすっきりした気分」だったそうです。「大切な試験を『ごまかし』をせずにすんだという、うれしさなようなものを含んでいた」そうです。

J女史はかなり立腹されましたが、いろんな状況を鑑みて河合に資格を与えても良い、という判断を一旦されたそうですが、別の教官からそれを聞いた河合さんは、「お情けでもらう資格などいらない」と返事したそうです。

直後に、河合さんは深いデプレッション(憂鬱状態)に陥りました。
ユング研究所は博士号を持った人物しか入ることができません。つまり、その時点で20代後半から30代以上の年齢ということです(ちなみに河合さんがスイスに行かれたのは34歳の時。資格を取ったのは37歳)。そこからまた「学生」の身分というのは、なかなか大変なことです。しかも、河合さんには日本に残した家族もありました。また、初の日本人研究生としての責任もありました。
そのため、J女史に和解の手紙を書こうとさえ思われたそうです。

結果的には、無事資格試験に合格しました。

その決定の主旨は「(リックリン所長曰く)
ミスター・カワイ、あなたは今まで何事もあまりスイスイとやっていくので、イエスマンではないか、とわれわれは危惧していた。しかし、最後になって研究所を揺るがすほどの大きいNO!をいってくれた。これで、わわわれは安心してあなたに資格をあげられると思いました。」

J女史からも祝福のカードを頂いたそうです。
それを自宅で見ているうちに河合さんは、「これら全てのことが、まるで私という人間が分析家としてひとり立ちしてゆくためのイニシエーションの儀式として、巧妙に仕組まれたものではなかったのかとさえ感じられてきた」そうです。

すべてのことがあまりにもうまく「できている」のである。

分析家のマイヤー先生にその事を報告すると、「それは誰がアレンジしたのだろう」と問われたそうです。「私でもなくお前でもない。ましてJでもなく研究所が仕組んだのでもない」

この章の結びで、川合さんはこう語られています。

これに何と答えるかはあまり重要でないかもしれない。大切なことはこのようなアレンジメントが存在すること。そして、それに関わった人たちがアレンジするものとしてではなく、渦中において精一杯自己を主張し、正直に行動することによってのみ、そこにひとつのアレンジメントが構成され、その「意味」を行為を通じて把握し得るということであろう。
この事を体験に根ざして知ることが、分析家になるための条件の一つででもあったのだろう。

僕自身も、これまでの人生において、様々な“がけっぷち”を経験してきました。
しかし、なぜか首の皮一枚で最悪な状況を回避してきています。そして、その経験が、今の僕を形成する上で重要な要素となっているのです。
本当に、「一体誰がアレンジしたのだろう」と思うこともしばしばです。

しかし振り返ってよく考えてみると、全てに「自分の選択」があることは間違いないのです。
もちろん、事象は自分の意志の及ばない「他者の意志や行動、時には自然現象」の影響を受けています。
が、それさえも、実は自分の意志が逆に影響していたのではないか、と思うようになってきました。

それはユングのいう(というほどユング心理学のことは知らないのですが)、個人の潜在意識と集合的無意識の相互作用的なもの、ではないでしょうか。

自分の意志、とも言えるし、人類共通の意志、とも見ることができる。

私たちが普段に考えていることが、実は実体の世界を動かしているのではないか、という疑問への、一つの回答になるのかもしれません。
(ところで、この考えは別に新しいものでもなんでもなく、仏教ではよく言われていることです)

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