2015年の年頭予言(内田樹の研究室)

http://blog.tatsuru.com/2015/01/01_1016.php

このブログでも折に触れ引用させて頂いている内田さんが、今年の予言をされています。

いやー、あんまり楽観的ではありませんね(笑)
良識ある方々ならば、同じような心持ち、覚悟をお持ちかもしれません。
しかし、何も必要以上に悲観的になる必要はありません。
出来ることをやれば良い。

「国破れて山河あり」
国破れても、山河さえあればなんとかなる。
そう思えることが出来れば、どうにでもなります。
大学を出てすぐ、就職する道を捨てて、インドへひとり放浪の旅に出掛けました。
そこで思ったことは、「ああ、今の日本で、宮崎で飢え死にすることは無いな。そう思えれば、安定した就職の道を選ばなかった不安も、大したことは無い。生きていればなんとかなる」というものでした。

その思いは、近年ますます強くなっています。
奇しくも、内田さんが言わんとされていることと同じです。

統治システムが瓦解しようと、経済恐慌が来ようと、通貨が暴落しようと、天変地異やパンデミックに襲われようと、「国破れて」も、山河さえ残っていれば、私たちは国を再興することができる。
私たちたちがいますべき最優先の仕事は「日本の山河」を守ることである。
私が「山河」というときには指しているのは海洋や土壌や大気や森林や河川のような自然環境のことだけではない。
日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、さらに具体的には治安のよさや上下水道や交通や通信の安定的な運転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも含まれる。
日本語の語彙や音韻から、「当たり前のように定時に電車が来る」ことまで含めて、私たち日本人の身体のうちに内面化した文化資源と制度資本の全体を含めて私は「山河」と呼んでいる。
外形的なものが崩れ去っても、「山河」さえ残っていれば、国は生き延びることができる。
山河が失われれば、統治システムや経済システムだけが瓦礫の中に存続しても、そんなものには何の意味もない。
今私たちの国は滅びのプロセスをしだいに加速しながら転がり落ちている。
滅びを加速しようとしている人たちがこの国の「エリート」であり、その人たちの導きによってとにかく「何かが大きく変わるかもしれない」と期待して、あまり気のない喝采を送っている人たちがこの国の「大衆」である。
上から下までが、あるものは意識的に、あるものは無意識的に、あるものは積極的に、あるものは勢いに負けて、「滅びる」ことを願っている。
そうである以上、蟷螂の斧を以てはこの趨勢は止められない。
自分の手元にあって「守れる限りの山河」を守る。
それがこれからの「後退戦」で私たちがまずしなければならないことである。

今後「資本主義社会としての経済」は、後退局面に入ることは間違いないでしょう。
しかし、視点を変えればそれは別の意味での「成長」なのです。
そのことに早く気づいて、速やかにパラダイムシフトに向き合って行きましょう。

闇は、夜明け前が一番暗くなるものです。

今朝の自宅からの夜明け。

今朝の自宅からの夜明け。

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