視点を変える力〜岡田斗司夫FREEexメルマガより

岡田斗司夫さんのメルマガを購読しています。
半分は面白く、半分くらいはいや、自分ならこう回答するな、という感じでしょうか。

今回は「視点を変える」という質問に対して岡田さんの回答に対して考えてみたいと思います。

岡田さんは、質問者の「面白いと思える人の共通点として、高い視点や独特の認知力があると思っている。こういう認知力や、視点を変える力を鍛えるためにはどのような方法が有効だと思うか?」という問いに対して、こう答えます。

【まとめ】
 独自の視点を持つことは、本来なら何年もかかることです。でも簡単な方法もあります。それは自分のなかの偏見を、屁理屈でも合理化してみることです。

合理化のための屁理屈は、他人から見たら「何言ってんだ」とか「単なる屁理屈」なんでしょう。
 でも、その屁理屈を無理に組んでいくことが独自の視点になるんですね。もちろん、それは偏見にしかすぎないし、ただ単に屁理屈で合理化したものにすぎないから、弱いものですよ。でも、自分の長所とか独自の視点が強いものである必要はないんですよね。

視点とは、偏見や差別を合理化して、人の心を動かす程度のものだと考えています。その視点はフラットな知性から生まれるものではありません。

なるほど。屁理屈を考えてみる、というのはよく分かります。僕も、直感的に何かがおかしい、と思う時によくやる方法です。
一見「ひねくれた」論理を考えてみることで、それまでの前提や常識が崩れてしまう、ということは実は少なくありません。
屁理屈の第一人者は、とても有名な一休和尚でしょう。
本当に「ひねくれていた」のは常識の方だった、というのは案外多いものです。

本来長くかかる、独自の視点を養う方法。
僕の回答は以下の通りです。

独自の視点を身につけようとするよりも、徹底的な「客観性」を身につけることです。

「客観的な視点」を持つということは、岡田さんの言われる「フラットな知性による視点」とはまったく異なるものです。そこは誤解しないでください。
「客観的な視点」を身につけていく過程とは、まさしく自分の中にある偏見や思い込みを正しく認識し、それを解体し更にその奥にあるものを取り出すという作業です。
つまり、屁理屈を考える逆の思考なのです。だからこそ、客観的な視点を保とうとすれば、自然と屁理屈(独自の視点)を身につけることもできるわけです。

というより、客観的であるがゆえに、一つの視点にとらわれず多くの「眼」を持つことができるのです。

別の言い方をすれば、原理原則は何か、を徹底的に観察し、考えることです。
結構ね、世の中の「常識」には仮の話なんかが「前提」になっていることが多いものです。
そして、皆が言うから、あの人が言うから、その「前提」を誰も疑おうとしない。

上手くいかない時には、前提を疑え。

そうすることで、あなたの目の前に新しい世界が広がってくるものですよ(^_-)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする