幸福の感じ方とは〜綾町の未来を考える会

「綾町の未来を考える会」というフォーラムに参加しています。
昨日が第3回。
行政主導ではない、民間での意見交換で綾町の未来を考えて行こうというものです。
様々な意見、世界観を持った人たちが集っているのが私たちの社会です。しかし、それぞれが勝手気ままな方向を向いていては「自由な、言い換えれば自己中な」社会となってしまいます。
そうではなく、やはり互いの意見を尊重しながらでも、妥協点といえば言葉が悪い、歩み寄りを図る、意見交換を通して相互理解を深め、ある程度の意見の集約を図っていく、という趣旨のものです。
そのうえで、何をすればいいのか、何が足りないのかを自分たちで考えていく。住民自治の原点です。

そこからでしか、本当の意味での民主主義は育たないと思います。

昨日、ある方からこんなお話がありました。
その方は旅行が好きで、世界各国を回られているそうです。
その経験の中で、人の幸福の感じ方の話をされました。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉あります。
この言葉が持つ意味は、自分が不幸である、あるいは不満がある状態の時、他人の不幸を見ることで幸福感を感じる、ということでしょう。
私たちは、普段そうやって他人と比べることによって「幸福」を感じることはないでしょうか。

しかし、それは本当に「幸福」なのでしょうか?

よく考えてみましょう。
その瞬間には自分の不幸や不満が忘れられる、というだけであってその心の状態が変わったわけではありません。
ですから、そうやって人の不幸を見て喜ぶというか幸福を感じるような価値観は止めよう、という話をされました。

それを受けて、別の方はこういう話をされました。
「自分の境遇より悪い人を見ることで、今の自分の境遇を受け入れることになるんじゃないか」と。

どちらも間違いではありません。
が、似ているようで違います。

「他人の不幸は蜜の味」は、相対的に自分を見ているようで見ていません。
単に今の自分の嫌な気分から逃避したいだけのように思います。
実は、人と比べることで自分の劣等感を大きくさせてしまう、これも同じような思考から生まれています。

後者はどうでしょうか。
例えば、今の日本に住んでいても自分は不幸だ、経済的になど恵まれていないと感じることは多々あります。
しかし、世界を見渡してみるともっと酷い環境で、水や食料すらままならない、生まれた時から戦場で育ったという人たちも沢山います。
それに比べれてば、日本に生まれたというだけで幸福だ、とも言えるでしょう。
それは「相対的に」自分の置かれている立場を理解しているわけです。
つまり世界とは何か、自分の取り巻く環境とはどういうものかを理解しようとしている。

同じように「相対的に考えている」ようで、根本的に違います。

私たちは、子供の頃から人と比べられて育ってきています。
今の教育制度では、毎日が同級生との比較によって評価されます。
家に帰れば、親からは友達と比べられることが日常会話になります。
受験は、その最たるものでしょう。

単純に、それがいいとか悪いとか言いたいのではありません。
まずはそういうものだ、ということを理解すること。私たち自身がそうやって大人になってきている、ということを受け入れること。
そうやって初めて、「客観的に」自分を知ることできる。
教育制度の不備を問うのは、その後の話です。
自分を理解しなくては、人とのコミュニケーションも上手くいかないだろうし、子供達に何を教えられると言うのでしょうか。

本当のまちづくりとは、人づくりであり、私たちの意識の転換なのではないでしょうか。
そんなことを考えさせてくれる「綾町の未来を考える会」。
今後も楽しみです(^_-)

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